学祖 簡野道明
 簡野道明 小伝
ドイツ・フレーベルセミナー校との姉妹校締結
蒲田女子高等学校 有竹会
漢詩名作集(上) 漢詩名作集(下)
簡野道明 小伝
刻苦勉励の人
 簡野先生はどんな仕事でも、どんな場合でも捨て身でかかられた。大学教授の時も、中学校や小学校の教諭の時でも、全力を傾けて、全く同じ熱と誠を尽くされた。「『そんなつまらない本の解釈なんか、おかしくて書けるもんか。』などと言う者に、難しい書物の解釈が立派にできる筈はない。関白、秀吉は日本一の草履取りであった。」また、初めて教師になる者に「中学一年生に教える時でも、一時間の授業の下調べを、二時間も三時間もかけてやるような心がけでなければ、人に分からせる授業はできないものだ。」と、戒められた。  先生の著書を見れば捨て身になって仕事をしたその態度がよく分かるであろう。簡野先生が普通の人より頭脳明晰で優れていたことは生まれつきであるが、それ以上に寸暇を惜しんで努力した人であった。
道明先生胸像
書物を読んでいて夕方になり薄暗くなると、家の人を呼んで頭上の電灯を付けさせるのが常であったが、それは面倒くさいからでなく、時間を愛おしみ、惜しんだからであった。また、弟子たちに「朝は三時に起きよ」と言っておられた。普通の人の一日分の仕事を朝のうちにやり終わってしまったのである。他の人々との旅行中でも、朝早く起き、人が気がついた時には、人の邪魔をしないよう電灯の明かりを暗くして読書をしておられたという。  「一日再び晨なり難し」とか「成年重ねて来らず」とか言われるけれども、この言葉ほど簡野先生ほど痛切に感じている人が幾人あったであろうか。真に刻苦勉励の人であったと言えよう。
不言実行
 簡野先生はお酒が好きであった。弟子たちと酒を飲みながら徳利を振られることが度々あった。そして次のように言われた。「この音を聞いていたろう。どうだ。中味が減るに従って音は高くなるものじゃぁ。」と。  これは先生がおしゃべりを戒めた教訓であった。つまり、内容が少ないほど、高い声を出して口数が多くなるものだという意味である。先生は、おしゃべりを好まず、いつも和やかな気分で黙々としていた。が、必要なことはよく分かるように筋道を立てて、こまごまと詳しく話しをされた。
清富論
 ある亡き友の追悼録に書いている言葉に「漢学者は、ややともすればお金や品物など経済面を軽く視る癖がある。これは誤った考えであって、元の許魯斎が『学問は暮らしの道をたてることを第一とする』と言っているが、これは実に永久に変わらない戒めとして心に留めて守っていかなければならない。」と。これも簡野先生の持論であって「生前どのように立派な人であっても、その人が死んでから後、直ちに子孫が路頭に迷うようなことがあってはならない。清貧ということは美しい言葉であるが、褒めるようなことではない。妻や子が生活していけるように考えてやるのも人の道として自然である。」と。また、「世間には、貧富にそれぞれ二通りあって、富の方には清富と濁富。貧の方にも清貧と濁貧とがある。清貧は最も美しいが、少し誤ると忽ち濁貧になり易い。しかし清富は人道に従って行っていけば、到達しやすく、また守り易いのである。人間は正当な努力によって清富を求めなくてはならない。」先生の清富論は以上のようなものであるが、先生はこれを立派に実現せられたのである。永年の困苦欠乏に堪えて、よくこの「清富」つまり、お金や財産を得ることができたのは、なみなみならない苦労があったであろうが、また、この成功の陰には大いに夫人の苦心があったのである。

*註  許魯斎・・・朱子学者  許衡とも言う
生活態度
 簡野先生ほど飲食に簡素な人はなかった。先生のよく言われた言葉に「よく人の顔を見ると、すぐ、どこの何を食べたいとか、どこの何が旨いと言う者があるが、そのような人は飲食の奴隷じゃ。」と。
 また「衣服、飲食は、人間は誰でもお世話になっていない者はないが、衣服の奇を好む者は、心がだらしなくみだらである。飲食の美を好む者は、心が卑しく下品である。』とも言われている。
 先生は『徒歩第一主義』であった。自動車に乗るなどということは滅多になく、よく日和下駄で、てくてくと歩かれた。
 汽車は利用するが必ず三等で決して急行列車には乗らなかった。そして「昔の旅は可愛い子にさせろと言って、修養の機会が多かったものだが、今の旅は、ただ贅沢と遊びを教えるだけだ。可愛い子に旅はさせられない。」と言われた。
 簡野先生は現代の物質文明、機械文明の利と害とを、最も正しく認識し正しい利用をされた方であった。この意味に於いて、最も進んだ文化人であったと言えるのではないだろうか。
 出かけるのに自動車があり、行くには汽車があり、寒ければ暖房、暑ければ冷房装置が、暗ければ電灯が、のどが渇けば衛生的な水道がある。これらをただ、楽しみを受けるだけにむやみに使い尽くしてしまうならば、ひとたび災害などでこれらが止まるようなことがあった時、どのような行動ができるだろうか。車がなければ一キロも歩けない、走れないという人が、果たして真の文化人だろうか。そういう意味で先生を想う時、毅然として何物にもとらわれない人生の達人と言えるのではないだろうか。
※吉田町立図書館作成より転載