学祖 簡野道明

年譜

簡野道明先生 年譜

年 代 業 績 年 齢
慶応元年 1865年 江戸八丁堀、吉田藩の邸で生まれる。
父、義任の長子
1
明治2年 1869年 祖父及び父に連れられ吉田に帰る 5
明治5年 1872年 旧御殿の小学校に入学
森 蘭谷・兵頭文斎先生に就いて学ぶ
8
明治11年 1878年 小学校を卒業して、課外塾に入る 14
明治13年 1880年 東宇和郡野村町白髭小学校教員になる 16
明治15年 1882年 愛媛県尋常師範学校に入る 18
明治17年 1884年 師範学校を卒業し、東宇和郡小学校訓導になる。その後、同郡卯之町、宇摩郡三島、喜多郡大洲、東宇和郡予子林等の学校を歴任する(約7年間) 20
明治25年 1892年 兵庫県神戸高等小学校訓導になるがすぐ辞めて上京する 28
明治28年 1895年 東京高等師範学校国語漢文専修科に入学する。翌年卒業する。 31
明治30年 1897年 東京師範学校教諭になる 33
明治32年 1899年 「初等漢文読本全四冊」「高等女子漢文全四冊」を出す 35
明治34年 1901年 「読書作文用字訣」「中等漢文読本全十冊」を出す 37
明治35年 1902年 東京女子高等師範学校教授になる 38
明治38年 1905年 「支那近体文読本」を出す 41
明治40年 1907年 「故事成語大辞典」を出す 43
明治44年 1911年 「近古史談」「史記」「小学」等を出す 47
大正元年 1912年 「増修故事成語大辞典」「師範漢文読本全四冊」「日本外史」
「十八史略」「唐宋八家文」「孟子」「論語」等を出す
48
大正3年 1914年 東京女子高等師範学校教授を辞める
「和漢名詩類選評釈」を出す
50
大正5年 1916年 「論語解義」を出す 52
大正6年 1917年 「孝経校本」「実業漢文読本全三冊」「蒙求抄」を出す
北京・曲阜・西湖・盧山・長沙を歴訪し開城・京城を通って帰る
53
大正10年 1921年 「補註論語集註」を出す 57
大正11年 1922年 「補註孟子集註」を出す 58
大正12年 1923年 「字源」を出す 59
大正13年 1924年 「老子解義」を出す 60
大正14年 1925年 「孟子解義」を出す 61
昭和元年 1926年 「補注学庸章句」を出す 「用字便覧」を校閲する 62
昭和2年 1927年 「歴代文鈔」を出す 「歴代詩鈔」等を出す 63
昭和3年 1928年 「大学解義」「詩子文枠」「左伝文枠」を出す 64
昭和4年 1929年 「唐詩選詳説全二冊」「校註唐詩選」「史記文粋」を出す 65
昭和5年 1930年 「中庸解義」を出す 66
昭和6年 1931年 「補註古文真宝集」「通鑑文粋」「言志四録鈔」を出す 67
昭和7年 1932年 「補註文章規範」を出す 68
昭和8年 1933年 「白詩新釈」「補註古文真宝前集」を出す
「十八史略新解」を校閲する
69
昭和9年 1934年 「孟子新解」「和漢朗詠集新解」「日本外史新解」などを校閲する 70
昭和10年 1935年 「補註小学」を出す 「論語新解」を校閲する 71
昭和11年 1936年 「古文真宝枠」「唐宗八家文鈔」を出す
「真註言志四録」「和漢朗吟詩集」を校閲する
72
昭和12年 1937年 「新修漢文」「師範漢文」「新修女子漢文」
「新修女子漢文抄」等の新制版を出す。病中校正に従う
73
昭和13年 1938年 2月11日 羽田間雲荘で没する
小石川伝通院に葬る 法名を源徳院間雲虚舟居士と言う
74
昭和14年2月 1936年 遺稿「虚舟師存」が出る
昭和15年2月 1937年 「虚舟追想録」が出る

簡野道明先生と図書館

年 代
昭和14年頃 信衛夫人は、故先生の追善の為に、金一万円を図書館建設資金として、
更に編さんされた教科書及び著書の全部を吉田町に寄贈された。
昭和14年頃 簡野夫人の寄附行為により、村井愛郷会立簡野道明先生記念吉田図書館が設立される。
昭和25年 1950年 図書館法により簡野道明先生記念吉田町立図書館となる。
昭和39年 1964年 吉田町役場に移転される。
昭和48年 1973年 吉田中央公民館に移転される。
昭和61年 1986年 図書館新築に伴い、吉田町立図書館と改称し、御殿内に移転される。
昭和62年 1897年 12月11日 簡野道明先生50回忌を執り行う。
(於・大信寺、顕彰会主催・史談会後援)
平成元年 1989年 図書館前庭に「清・愼・勤」の顕彰碑が建つ。