学園の敷地は、学祖である漢学者 簡野道明先生が著作や勉強のために使われた別荘地でありました。大正の終わりの頃、勉強部屋を捜し求めていた先生ご夫婦は、まず下丸子周辺を探し歩いておられましたが、目ぼしい物件がなく、多摩川の畔を下流に沿って探していたところ、この土地が目に留まりました。当時、この地は代官屋敷跡で少し台地になっており、空気のよい六郷の提を越して、ゆっくりと動いていく帆が見えたそうです。ご夫婦は大層気に入り、ここ羽田の地に別荘を構え、間雲荘と名付けました。先生は休み度にここで過ごされ、食事は一汁一菜で、極めて簡素な生活をされ、終日著作に没頭されたそうです。
先生は永く女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)に奉職しておられましたが、公職を退いた際に、小石川の自宅から間雲荘に住まいを移されました。
朝は未明に起床し、一日中著述に専念しておられましが、著述或いは読書に疲れた時は、詩など吟じつつ、よく邸内を歩きまわられたそうです。