簡野育英会のあゆみ
二代目理事長 簡野よし先生
二代目理事長 簡野よし先生
 簡野よし先生は、戦災で殉職された母 信衛先生の跡を継がれ、昭和20(1945)年に第2代理事長に就任されました。先生が就任された当時、社会は第二次世界大戦による大混乱期にあり、戦中戦後、2度に亘って消失した校舎の復興に血の滲むようなご苦労をされました。誰もが食べることだけで精一杯で、他の事など考えられない時代、周りの者はしばらく時期を待つようにと勧めた中、「今私がやらなかったら、折角の母の志が無くなる」と言って学校の再建に尽力されました。昭和22(1947)年6月に完成した仮校舎は、12月に失火によって再度消失してしまいましたが、それにも屈せず、鈴木豊太郎理事などのお力添えもあり、年々復興の一途を辿りました。
 また、よし先生は、父親である道明先生が、生前女性の教育と共に幼児教育の重要性を述べられておられたことを想起し、
その志を継いで、昭和34(1959)年4月に付属幼稚園の設立にも尽力されました。園の設立に際し、よし先生は当時50歳を過ぎたご年齢にも関わらず、自ら目白の保育専門学校にご入学され、若い人にまじり講義を聞き、実習をなさり、保育士・幼稚園教諭の免許を取得されました。
その後、昭和48(1973)年に、学祖道明先生が教授を務めたお茶の水女子大学が指導大学を引き受けて下さり、蒲田保育専門学校が設立されました。これにより、学祖・創立者の道明・信衛先生ご夫妻の女子教育と幼児教育がしっかりと手を結び、ご夫妻の夢がよし先生によって実現されました。 このように、多年にわたりわが国の教育事業の発展に尽力された功績が評価され、昭和42(1967)年、5月31日付で、藍綬褒章を授与されました。(褒章の記、『多年教育に携わり、常に施設の充実を図って子弟の教育に努め、よく教育の振興に寄与した』)伝達式は本校創立記念日の6月14日、午前11時から、国立教育会館において行われ、式後、皇居において天皇、皇后両陛下の賜謁が行われました。PTA主催の祝賀会は7月1日午後3時、本校体育館において開催され、出席者は160余名、心から理事長簡野よし先生の栄誉を祝福しました。また、昭和48(1973)年、長年の私学教育振興の功により勲四等瑞宝章叙勲の栄に浴されました。昭和61(1986)年にご健康上の理由から理事長をご退任され、平成元(1989)年2月7日、ご自宅にて逝去。享年89歳。同年3月4日学園葬が本校体育館において、しめやかに執り行われました。
 教育事業に力を注がれて26年。幾多の苦難に見舞われつつも、校舎、設備の充実、生徒の指導に忍耐と勇気をもってあたられた簡野よし先生こそ、現在の女子教育・幼児教育という本学園の建学の精神を具現化された「第二の建学の母」といっても過言ではありません。
よし先生の書
卒業生におくる言葉